左から8/1塾の賄い、昼はバナナのみ。残り4枚は7/31の夕食。問題は今日の夜ごはんだな。帰りにイオンによって『刺身』でも買って帰るか。。。
しぶとく生き延びてやるぞぉぉぉおおおお~
奥は今夜は姉、義母と一緒にディナーらしい。越前蟹かな?
仲良き事は善き事なり だな~
7月25日に、『やきしお』と『和の豊塩(てしお)』を買ってきて、塩分摂取に努めました。結果は上々で、大量の発汗、食欲不振、倦怠感は消え、さらに両腕両脚の肌荒れも全快しました。大量発汗は、塩分不足のため、僕の身体自身が、ナトリウムの濃度を保つために、水分を汗として放出したという事です。今日は暑くなるのが分かっていたので、
『塩分は体内にかなり採りこんだ。理屈通りなら、暑くても大量の汗はかかないはずだ。』
そう思って送迎に行って来ました。作戦大成功でした。
暑いは暑いですが、苦にはなりませんでした。
塾生の中には、やる気が出ない、かったるい…という人もいると思います。もしかしたら僕のように『塩分不足』かも知れません。Nacl(塩化ナトリウム)の化学物質じゃない、本当の『塩』を採ると僕みたいに驚異的な変化が得られるかも知れませんよ。
塩分を採らないとこうなる。 ☚読んでみて下さい
23日に大量の汗をかいて、
『俺の身体どうなっちゃったんだろう?』
と思って、ネットで『塩分の効力』などで検索かけて色々調べました。塩分が不足すると、食欲減退・倦怠感・活力減退・精神バランスの不具合・肌荒れ等の免疫力低下になる…というのが調べた結果です。
大量の汗は、体内のナトリウムが少なくなると、体内の水分を体外に放出して濃度を一定に保とうと身体がしているとの事でした。考えたら暑くなってから『味噌汁』も、大好きだった『豚汁』も全く食べていない。食事も一日1回なんて良くあって超偏食だった。両腕両脚とも肌荒れで、『俺は皮膚が弱いんだ。』とずっと思って来たが、塩分採ったら、
自分の身体じゃないくらい綺麗になりました。両脚はいつも齧った跡で傷だらけだったのが消えました。
塾生や保護者様も試してみられたら…と思います。僕は医者じゃないから詳しい事はわからないけど、僕の場合は大ホームランでした。
19日位からの余りの暑さに、大量の汗をかきながら、フラフラするし、時折めまいはするしで、
『俺、これって熱中症なのかな……』
と度々思っていました。
見かねた杉山さんから、23日に『水分と塩分を採った方が良いですよ。』のアドバイスを貰って、特に塩分を採るようにしました。最初はコップに食卓塩+アクエリアスとか、ただの食塩水を飲んだりしました。僕の身体は新陳代謝だけは良いらしく、翌日には、かなり改善しました。
それから『塩』に強い関心を持って、ネットで『塩の話』とか『塩の力』などで検索をかけて調べまくりました。今の日本は、『塩分の採り過ぎは、高血圧になる。』という説が広まり過ぎて、減塩、減塩が謳い文句になっている。でも塩がなかったら、人間は生きていけない。
僕は、完全に『塩分不足』だったと思う。
冬の間は、味噌汁や豚汁などで塩分を十分に採っていたけど、暑くなってきてからは、『味噌汁』もほとんど飲まなかった。漬物もほんの少ししか食べなかった。ナトリウムが不足すると、倦怠感・脱力感のみならず、精神バランスも乱すと書いてあった。
江戸時代の罪人の極刑には、『塩ぬきの刑』があった。食事から全て塩を抜かれたら、立つ事すらできなくなり、いずれ死を迎える…というものらしい。また、戦争中には、中国軍が、『日本兵が、おにぎりとたくわんだけで進軍してくる事に驚いたという。』
僕はこれから、『塩』を命の薬と思って身体に採りいれ続けようと思っています。
ここ数日、ものすごい暑さですね。杉山さんから、
『塾長、水分取った方がいいですよ。それと塩分も。』
と、いわれアクエリアスに食卓塩を入れて飲み、家に帰ってからは寝る前に食塩水を2杯飲んで眠りました。たしかに塩分不足だったのかな?と思います。心なしか体調が良いように感じます。あと2ヶ月位暑さが続くので、塩で乗り切ろうと思います。
杉山さんは、塾の全てを知っています。中学1年生からですから、ほぼ全て知っている。
僕なんて飾りで良い。杉山美幸に全権を委ねています。
先ほど二人の息子に電話しました。
長男29歳、次男27歳。長男は外資の会社、次男は航空自衛隊。二人とも可愛がって育てたが、親父は厳しかった…が息子達の印象のようです。長男は結婚もしたし、なんの不自由ない暮らしをしています。
チビの頃には、ずいぶん可愛がったけど、富士、沼津に帰って来る事はないと思う。
次男は、学校の先生より、どうしても航空自衛隊に行きたいと、教師を辞めて今は自衛官です。少林寺、剣道、銃剣道を合わせると8段。殺人マシンな奴です。苦手は女子。口下手だし、女にもてない。それがやっと彼女が出来ました。歯科衛生士との事。結婚するつもりだと聞いた。
『いいか、先方の親の事を考えろ、婚約とかキチンとしないと駄目じゃないか?俺には娘はいないけど、ちゃんとやれ。』でした。
今日は午後3時から9時まで保護者様と生徒との面談が6組入っています。(今は杉山さんが面談中)先ほど面談したI君は80時間で申込みを受付けました。
中3なので『この夏は頑張るぞ。』という気持ちになったようです。
最初に、『僕は死ぬのかな?』と思ったのは、小3の時だったと思う。身体が弱かったからか、夏に寝込んで歩く事も出来なくなった。毎日病院に連れて行かれるんですが、歩くことはおろか、起き上がれない。何回も背負われて病院に行って、何本も太い注射を打たれて…の日が続いた。毎日、親戚が見舞いに来てくれて、『こんなに叔父さん、叔母さんが来るって、僕は死ぬんだな。。。』そう想ったのを覚えています。
その次は、中1だったと思う。静波海水浴場に家族と行って、沖に流された。泳いでも泳いでも、陸は遥かに遠い。『ここで沈んでも誰も気づかない。このまま溺れたら僕は死ぬんだ。。。』だった。
次は平成元年8月5日。沼津の横山トンネルの先の清水町。250ccのオートバイで車と正面衝突。空を飛んで、アスファルトに叩きつけられた。救急車で東静病院に運ばれた。全身打撲、右鶏突起骨折。全治2カ月。
腰を突き刺されるような激痛に、『殺してくれ~!!』と絶叫した。ギャーという叫び声をあげていた。。。
次は平成25年7月の今頃でした。『大腸に小さいポリープがありますが、どうしますか?』と言われ。『悪いのがあるなら取って下さい。』で内視鏡手術でしたが、まさかの『緊急オペ』になりました。一日か二日の事は良く覚えていない。『暑い。汗を拭きたい。。。』と思っても、ベットでぐったり。身動きすらできなかった。
看護師の奥に後で聞いたら、『このまま、こっちに帰って来れないかも…と思った。』と言っていた。腹膜炎とかの危険もあるから、死んでしまうかも…と。
杉山さんも、『奥さんからの電話で、いつ塾に復帰出来るかをお伝え出来ません。。。と言われた時は、大変な事になったって思いましたよ。』と、言われた。
なんだかんだで4回も死にかけた命なので、しっかり命を使い切りたいと思っています。